桜の時期

「大地震は100年に一度起き、それを踏まえて設計することが建築家としての役割である。」大学1年の最初の授業にハッキリと言われた内容であった。


東北の地震が起きた10年前、既にロンドンの今の事務所で慌ただしい朝を迎えていた。チームのみんなに心配される中「今日は休み扱いにしてください。」と上司に伝わりもしないお辞儀をした。都内で働いていた時の事務所に連絡を取りながら、色んなアイディアを送った。「明日死ぬかもしれない人のためにできること。」ということを教わった事務所であった。帰路の地図を多くの友人に送るなどしていた。全く声が出ない女川出身の友人を励ました。「電気つけてないんじゃない?もう暗いでしょ。」と家族の安否を諦めていた。「待ってろ。」と言い残し安否確認表をみせた時の友人の「あったよ!名前あったよ。。。」と泣きながら喜んでいた声を今でも昨日のことのように覚えている。日本語のニュースと英語のニュースを同時に聞き、突き進めば突き進むほど自分は無力であると感じた。ちゃんと建築家として何かを残さねばと思ったのが結論であった。


その後

都内にスタジアムの提案をすることになった。まだ東北の復興が完了しておらず、東京でオリンピックができるだろうかという誘致もできていない頃だった。募集要項を警戒すると共に応募できる事務所を割り出し、色んな案を描き出した。それに勝るものは何か。50年に一度のチャンスに残すべきものは何か。と必然的なデザインに寄せていった。不思議と勝利を収め、無事に誘致も完了した。なのに不可解な感覚は消えなかった。


日本からの設計チームを組み2年が過ぎている頃だった。色んな検討が行われ2歳にもなるその娘は好き嫌いをはっきりと伝えるようになる時期だった。それがある日、突然死産を迎えた。ニュースとして内閣総理大臣によって。暗闇を抜けるような日々が何年も続いた。チームは僕らの積み重ねた設計図と共にバラバラになった。まるで外国人設計者に問題があるという内容。予算に問題があるように脚色されるものであった。所内でも日本人への圧力はあり、やり返すことも、人事に持っていくこともしなかったが日本人でいることが邪魔と感じることは少なくなかった。ドリームチームと言われていたことが夢物語のように皆辞めていった。現実と夢と悪夢の区別がつかなくなっていった。それに加わるように数ヶ月後、ある決断の翌日に所長は心臓発作で亡くなった。


最近

「海外から見て日本の良さはどう言ったところに感じますか?」と聞かれることが妙に多い。季節に合わせて桜を国民全体で美しむところと答えている。ロンドンにも桜は咲いている。親善関係の象徴として贈られるものもあればそうでないものも。ただその本数はたまに出てくる2、3本に過ぎない。川の土手を固めるためにと100本、1000本という日本に多く見かける単位や時間を感じさせる幹の太さとは異なる。そのタイミングを狙うように出される桜にまつわる流行りの新曲や料亭での旬の食材を用いた手解き。「散りゆく様も優美」でそれもまた憧れる。こう言った死を含む美しさに全国民が声に出さずとも桜に合わせてそれぞれがお返事をしていく静かな広がりに日本の美意識を感じる。


が、大地震の多くは正月から春にかけて起き

「桜が散るまでは」と用心が毎年募る。

そして、優美だと正気でいられだろうか。

| time 06:28 | comments(0) |

over the sea
ある人とあるカタチでここロンドンで知り合った。
彼らは海を超え、大陸を渡り、僕らに会いにきた。
彼らの意思は美しいほどカタク、責任を背負ってきている。

海と大陸を渡る時の意識...
| time 07:13 | comments(0) |

薄れない才能
最近再確認したこと

この事務所で働く意味について
それは常に挑戦し続けることである。
知識、テクニック、経験はいくらでも育てられる。
ただこの意思は育てられるものではない。育てようとしても薄れるものが大半。
10年前は建てることよりも提案することに力を注ぎ
5年前からスケールを問わず作ることに力を注ぎ
最近ではスケールの大きい現実性と挑戦の狭間に力を注いでいる。

あるプロジェクトで僕は上司と激しく衝突しながら挑戦スタンスかつ、現実的なものの提案を行った
それ以来所長とその側近との距離が一気に縮まった。が、すぐ上の上司は俺のデザインを真っ向から否定した。「君がやっているデザインは事務所に沿っているが負けたら君のせいだ。」反論「機能もする、プランもきいまだかつてないほどスッキリしてる、コストも考えてある、構造も導線も全部解けている。ねじれている箇所は一か所もない。審査員は俺らじゃない。」

別のプロジェクトで僕はその上司のやりたいように従った。心の中で何を思っていたかは置いといてひたすらこなした。僕のアイディアは否定され続け、上に伝わらない程度に静かに潰された。
側近が提出前に言った「なんで構造から解かなかったんだ。」初日に僕が言った内容だった。何度も否定された内容そのものだった。
所長が最後に言った「こんなもの勝っても仕方ないわよ。」

50歳になっても
60歳になっても

その才能は薄れることはない。
| time 19:32 | comments(0) |

Library in Sweden
http://www.arkitekt.se/s78433/f16525


Concept and Thoughts
The idea was to have the A frame with the structure/ facade and having the V void in the interrior with the staircase. At the arrival to the reception desk on the Ground Level, the opponent will be invited to the clear void. The BOH will be all in the North side which allows for the a clear open plan. The void was form finded through 3 parameters as in light analization, circulation and floor areas. This allows the light to come through into the building and circulation to have free flow at the same time. The facade pattern were done in an effective way within the low cost, thought from the cold climate in Sweden. Double curved surfaces were minalized for us to meet the budget.

role
main architecure designer
Interrior, Exterior, landscape 3D modeling
renderings
presentation design
| time 21:40 | comments(0) |

Olympic 2020 Tokyo
Tokyo has been selected as the hosting city for the Olympic 2020. Weather if it was Tokyo or not, our office would have been building the main stadium for the event. I am understanding this event as a strong support for the redevelopment of Tohoku City in the long run. More over, I hope this has an effect for us to not use anymore of the nuclear power plant in Japan and to lead the others.

We are proud to say this iconic design will be inviting the world for Tokyo in 2020. We arichtectural designers in the office are driving for designs that will be fresh at the time when it is constructed. We architects are aware of what will be realisticly constructable in the next few years, 5 years, 10years and so one... This design will be sure to say the best in 2020 and hope to see loads of similar design by then in Tokyo.
| time 21:00 | comments(1) |

1x2x3
極小住宅1X2X3
Presentation board in A2
1を3.6m 間口
2を7.2m 奥行き
3を10.8m 高さ
7.8坪の家とした時にできる個人住宅の提案。
極小住宅の分類に入る規模のもである。

1964年の東京オリンピックの時に道路の幅が変わり、余った土地が多く生まれた。国外でこれらは「日本の建築」とされていて、賛否両論である。実際これを解いて見ると如何に無駄なものを削り、なにを優先するかということでデザインは大きく変わっていく。つまり、普通に考えていては解けないということになる。

コンセプト
‐成長する子供、住宅、家族-
子供の成長と共に子供と親との距離は変化する。この距離と共に住宅のあり方も変わりえるものであるとして今回の住宅を解いた。幼少期、思春期、成人の大まかに3タイプで考え、さらには祖父母の老後にも対応できるようにあらかじめ住宅の設定を行い、子供が親元を離れたときにビジネスも行えるように設定を行った。

補足
駐車場は前面道路が幅5.5m以上であることを想定したものである。
| time 07:29 | comments(0) |

1x2mx13Panels
先日、大きなコンペの提出が終わった。
最終2週間から飛び込みデリバリを行うピンチヒッターの役割。

アソシエートx1
リードx1
シニアx2
新人AA卒x5  *1
インターンx2

計12人のプロジェクト

組織で最も必要とされる能力
それはチーム力である。そしてその台風の目になる馬力をもつことであり、ノットをデカくするチームを動かす力量である。本来大きなコンペは提出2週間前にデザインを辞め、プロダクションモードに入る。が、今回のアソシエートはその予定が組めていなかった。

--脚注--
*1: AA: ロンドンにある建築大学 事務所の大半がここを卒業している。
*2: Rhino: 設計の際に使われるプログラムソフト NURBSに強い。プラグインが充実している。
*3: MAYA:設計の際に使われるプログラムソフト ポリゴンとアニメーションに強い。
*4: 3Dプリント:通常の紙の印刷ではなく、立体を印刷する。粉、プラスチック、メタル、シリコン等といろいろある。
*5: STL: 3Dプリントをする際にモデルをきれいにし、拡張子に変える作業。モデリングしたときにその一つ一つの面には裏表があり、エッジには方向がある。これらを整え、抜け穴がない状態を作り出す。また、印刷する際に最低限の厚さ等があり、それを整える。線、面、立体でそれぞれ最小値は違う。
*6: BlackOnBlack: RGBの黒とCMYKの黒は違う色のためこれを統一する作業。
前回のプロジェクトの提出の疲労も抜けないまま、僕ら4人は最初の会議に乗り込んだ。このチームはヒッチャカメッチャカそのものだった。会議中も勝手な会話のやり取り。デザイン言語はグッチャグチャ、グリッドはあってないようなもの、隣接するチーム内とのコミニュケーションの取れていなささ。一目で気がついた。このチームの欠陥がどこから派生しているかが。長い長い会議は続き、リードは疲労を隠すことはなかった。

会議の最後にこういった。
「モデリングが汚い。全員。直角は直角。平行は平行、パラメトリックはパラメトリック。このままでは3Dプリント*4の工程で躓く。提出も恐らく無理だろう。デザインでのコミニュケーションが全く取れていない。AAから卒業してきた君らは今までライバルだったのかもしれないが、今は同じチームだ。プロとしてのチーム力は手を取り合った時にものすごい威力を発揮する。これを見る限り、好き勝手騒いでいる未熟なデザインでありチーム力が全く感じられない。」
俺は誰かが演じなればならない悪役を引き受けた。50後半のアソシエートとRhino*2しか使えないシニアのローレンから逃れるように新人の彼らは皆でMayaに逃げ込んだ。Maya*3に逃げ込めば誰にも何ともいわれないと勘違いしたのだろう。母国を離れた海外で、建築を仕事にするという事実、この事務所でのプロとしての自覚はまるでなってなかった。さーどうする。どう育てる。その後全体図を全員に送り、自分たちで考えるように促し、少しずつ手を取り合うデザインが生まれてきた。相談のメールやチャットも増えてきた。

3日後
また会議をやった。自分で考えられるやつと、そうでない人の歴然とした差が律儀に出ていた。彼らにはトップダウンの考えができていた。つまり問題なのはボトムアップでしか思考できない子たちだった。7人の新人とインターンを一つの方向にむかせるにはこの方法しかなかった。一番できないやつをコテンパにする。ハイリスクハイリターン。そして徹底的に教育して、ボトムアップからもチームを加速させる。ターゲットは定まっていた。会議の最後に「君のMAYAのモデルを開けてくれ」と言い「どこでもいいからエッジループをかけてくれ」と言った。案の定かからない。mergeをかけていいところとそうでないところ、ブリッジをした後に綺麗にしなければならないところ。それがまるでなっていなかった。「これはダメなモデルだ。あとで俺のデスクに来てくれ。全部徹底的に教える。」といいその会議は終わった。その後すべてのステップを最初から分解したファイルを目の前で作り、その子に渡した。「質問があればいくらでも答える。僕は君に教えられることがあればそれは喜び以上のものに値する。今日は一緒に座ってくれてありがとう。」恐らくそのあと彼女は泣きながら帰ったことだろう。が、俺は決めていた。このシェンという子をこのチームの救世主にしてみせると。素質も糞も才能も関係ない。自信なんて俺が植えつけてやると俺が勝手に決めたことだった。

次の日
共に前回戦ってきた新人のサマーンからチャットが来た。シェンの援護に回ってもいいかという内容だった。サマーンはすでに俺の徹底的な教育が植えつけられている子だった。そして自信もそれなりに芽を出し始めていた。

さかのぼること1ケ月前
サマーンと昼飯を食っていた日のことだった。
「べん、私本当はもっといろいろ聞きたいことがある。でも、べんの作業を邪魔するわけにもいかない。たまにわからなくなる。本当にくだらない質問もあって聞くのも恥ずかしいことが多すぎる。」
「あー、よくわかるよ。今のうちくだらない質問して、くだらないミスをいっぱいするべきだよ。俺の作業なんて大した内容でもないんだから好きなだけ、好きな時に聞けばいい。続けてれば俺が3年かかった内容は1年かちょっとですぐに到達するだろうね。こんな楽なことはないわなー。」
「でも、私はあのくだらない質問をするほど度胸がないのよ。」
「いいか。くだらない質問を10年後にするのと、今するのどっちがいい?お前は新人という立場だ。バカな質問をするのが仕事だ。それで金がもらえるんだ。こんないい話はない。だから俺に聞け。この事務所は新人をほったらかしにする。俺みたいに付きっきりで教えるバカもそういない。『あの手のくだらない質問をしてもいい(笑)?』とかいって切り出してくれればこっちもテンションあがるよ。」
「...」
「どうだ。俺が言ってるんだ。」
「分かったわ(笑)。(覚悟しなさい)。」

話は戻す
この差はすでに他の新人4人に比べ大きなものになってきていた。「おう。丸一日使っていいからシェンをサポートしてあげてくれ。」とサマーンに返事をした。その日が終わるころ確かに見覚えのある綺麗なモデルが送られてきた。自分の作業を中断し、直接会いに行って言った。「素晴らしいよ。やればできるじゃんかよ!Im so proud of you.」とうるせーぐらいに褒めた。「明日、君の力が必要だ。あいつとこいつがまだ分かってない。一緒に座ってサポートに回ってあげてくれ。」といいその日は終わった。1日でここまできたかー。たったの...予想以上にボトムアップからの加速は早く訪れた。

次の日また会議があった。
大量のチームへのプリントスクリーンのメールと徹底的なモデリングの教育により、綺麗なモデルがそろいはじめ、全体に屋根をかける俺のパートも出来上がっていたがバラバラなものはまだ腐るほどあった。が、どこまで揃え、どこまで自由度を保つかの話にやっとなった。ここからアソシエートのテイストが出始めるところだった。が、彼は50後半。MAYAなんて回転とパンができる程度だった。無茶ブリは続いた。レンダリングと、動画のためのモデリングのデータの送信の時間も迫りだしていた。

提出1週間前
サマーンをモデリングに残し、シェンを3Dプリントを作るSTL*5に残し、他全員をプロダクションモードにさせた。平面、断面を2人ずつのチーム。ダイアグラムをシニア、平面をシニアともう一人の子。俺の役割はパネルを作り全員の産物をまとめ上げる本来はリードかアソシエートがやる内容。リードはバックレる始末。全員の間を縫い、パニックを塞き止める作業が俺の役割だった。どこでパニックが起こるかは大体予想がついていた。STL、Black on Black*6、リンクの崩壊。この辺だろう。Indesignのリンクのファイル名をこっちから勝手に先に決めた。でなければ、リンク内がまた好き勝手なことになる。黒をRGBの初期設定のものに設定し、これらを全員にまた送った。が、このルールは人が多ければ多いほど守られないことは分かっていた。どう説明してもこの2つは崩される不思議な現象が起きるのは分かっていた。覚悟はメールを送る前からとっくにできていた。さて、STL。MAYAのモデリングは全員完璧だった。すぐにおわった。が、このプロジェクト、MAYAとRHINOの混合モデルだった。Rhinoを確認した。シニアの先輩にすべてを任せっきりだった俺の判断ミスだった。彼女はこのプロジェクトを最初からずっと見ている。すでに疲労は限界を1月前から過ぎていた。精神的にも、肉体的にも、モデルもボロボロだった。「君には借りがある。気にするな。」と一言だけ言って引き受けた。空中分解を覚悟した。事務所内にモデルを綺麗にする人がいる。ステゥワート。彼は3Dプリントを出すのが仕事だった。彼の援護も必要だった。データを送り、見せたが、あきれていた。方針を立てた。致命的な緊急手術が必要なタワーを彼に任せそれ以外を俺がやることになった。俺の深夜を含む2日間は簡単に消えた。

数日後
空中分解しないぎりぎりのところを走行していた。レンダリング、動画、3Dプリントは僕らの手元を完全に離れコンサルタントの元へ送信された。パネルに僕は戻ることができた。見えないところで誰かが踏ん張ってくれていたのだろう。そういう瞬間にチームを愛おしく思う。ありがとうと。
パネルを印刷する必要があった。が、既にデータは重くなり、俺のパソコンですら印刷を受け付けなくなった。ならば13枚を縮小してA0でだそう。それですらぎりぎりだった。出力で1時間。印刷だけで3時間。
不安になった。
ダイアグラムを増やす指示を出した。「さっきアソシエートからも同じことを言われて今作っています。」と返事があった。暗黙の領域だったのか、当たり前の指示だったのか分からないが、シンクロしていた。俺も13枚簡単にできる大きなレンダリングを用意した。捨て駒。歩兵はある領域を超えると金に変わり、玉座を支配する。

提出前日
既にA0に縮小した印刷も不可能だった。アソシエートに相談した。金をかけようと。近所に印刷屋があり、彼らに頼もうということだった。全員の作業をリアルスケールのままA0に切り貼りしたものを印刷しようと。テストプリントであった。すぐに賛成のGOサインが出た。数時間後、ものは印刷されていてすぐに渡し、予想以上に綺麗な仕上がりだった。いける。油断はできないが、気持ちが随分と楽になった。何時から印刷を開始するべきか逆算し、それを全員に伝えた。印刷は朝8時AM開始。終了3時PM。これを過ぎればすべてがポシャる。実際は5時である2時間のロスタイムをも換算した。

その日の夜
みなと食事の時間。だれもくだらない会話もする気もなく、ただ黙々と皆食事をしていた。全員の疲労はとっくにピークを過ぎていた。気まずいなんて全員が気がついている空気を切るようにアソシエートは言った。「2時AMで終わりにしよう。全員帰ろう。」俺は何も言わなかった。できるもんなら今すぐ帰りたいぐらいだった。

4時AM
全員いた(バックレを除く)。
朝8時AMから夕方3時まで誰かが生き残っていなければ全員で自滅することは見えていた。
朝部隊とこのまま続けられる部隊の2つに分かれた。
俺は椅子から立ち上がることもできず、当たり前のように作業を続けた。
アソシエートと最終チェックが入った。
不思議なことに彼は平気でレイアウトを変え、無茶ブリを要求し、気がつけば目を開けたまま横で彼は無様にも寝ていた。
終わりか...
このコンペで心の奥底でもっとも感情的になったのは恐らくここだろう。
--感情的になれば負ける--
--情熱的であれば貫ける--
そうだ。あれだ!捨て駒を並べ、玉座への王手をかけた。
「ビンビンしている人がほしい。」と呼びかけた。
4人いた。
2人に指示を出し、2人にここに残れと言った。
このままでは印刷は不可能だったため、ボードを分解し1枚ずつ近所に送るということを伝えた。

6時AM前
ダイアグラムを新しく作ったと1人が隣に座ってきた。
「ファイルの名前を教えてくれ」
といい、右のモニターから探し出した。
「えーっと...Diagram_grid_...何よこのファイルの数...」
「これでも足りないんだから困るよな。」
絶句。


6時AMあと2時間で送り始める。
と説明している横から1人は落ちた。起こす気もなく、何も言わなかった。
残ったのはシェンだった。そう救世主。彼女はもう歩兵ではない領域に入っていた。
「俺はこの瞬間が来たのがうれしいぞ。」
もはや意味不明だっただろう。
方針を2人で立て最高のものににじり寄っていった。

7時AM
まてよ、8時とだれが決めた?
すぐさま印刷会社に連絡をした。
「既に1枚送れる。今日の始業時間が知りたい。」
「まだ誰もいないがすでに送り始めて構わない。15分で開始できる。」
『印刷1枚目送信し始めました!』とやたら大きかったであろう声を出した。
1枚アベレージ30分。必ず問題があるものが出てくる...
断面はまだ更新していた。
更新していないものを聞きそれを分解した。
7時45分には送りたい。

7時50分
「待った!まだ断面は更新している。」
ブチギレそうになるところを静かに立ち上がり休憩しに行った。
この断面の二人はひどい。オリジンもめちゃくちゃ。ポリゴンの線も閉じない。ファイルは勝手な名前。いつまでも更新している。色気を使った女々しい言い訳が多い。何度言っても何かの病にかかったような作用の進め方だった。チーム全員が気がついていた。アソシエートにチクる気もなく、シカトこくことにした。
帰ってくると
「送信OKよ。」
どことなくひともんじゃくあったようだが、気にする時間はなかった。
『3枚送信!』
次まで1時間半ある...
確認に入った。
Black On Black*6の徹底的な確認が必要だった。
シェンが不思議なことを言い出した。
「Viewのところで確認できるわよ。」
「ん?」
「ここよここ。」
確かに確認できた。
やたらあった。
人を呼びかけた。
ピンピンはしていなかったが2人いた。
Blackの確認の指示を出した。
断面のBlackはもう後戻りができない状態になっていた。
全体に注意した回数3回。
個人的にメールした回数1回
個人的に呼び出した回数2回
迷わずシカトだった。何度言ってもわからないモノのヨゴレをこれ以上拭く気にはならなかった。
そして気になっていた一つのファイルの指示を別の一人に出した。この作成者も病にかかっていることは1週目に気がついていた。
「このファイルは2日間更新されていない。彼女のファイルの中に入り込んでくれるか?」
「べん、その作業結構おいしいね(笑)。」この時間帯に下ネタをかまし、全員爆笑だった。
そうこうしている横からシェンが3枚完了したと嬉しそうな返事が来る。
すぐに送る。
アソシエートからボロボロの声で待ったが入る。
「セクションのアノテーションが入っていない。止めろ!」
シカトをブッコいていた俺の責任になった。
メールをしたがすでに遅かった。
緊急オペにまた入った。
「まだ送っていない逆側に入れよう。」
すぐに解決した。

9時AM
残るところ4枚だった。
が、印刷会社に行っていたアソシエートから電話だった。
「平面の下のレンダリングが切れている。文字もずれている。」
俺の完全なミスだった。さすがに集中力はなくなり、ぎりぎりではない領域に入っていた。
横のシェンを見ると半分落ちていた。
俺もこのままでは危険だ。
クソッタレ。力が入らない。
...
朝部隊のオーロラが帰ってきた。
指示を出した。
ローレンも帰ってきた。
「ローレンは作業しちゃだめだ。ローレンは全体が見えているチームのパイプだ。作業は他の誰かができる。」
シェンを呼んだ。
「シェン、起きろ。そろそろそのパソコンの持ち主が帰ってくる。そのパソコンをシャットダウンしてこっちで一緒に作業をしよう。お前は乱れたものを探す目がある。構わないから俺に指示を出せ。」

ギリギリだった。
今思うとこの判断が10分遅れていたら全滅だった。
サマーンも帰ってきた
「すまん。もう指示がだせない。でも一緒にここで俺がミスらないか確認してくれ。」
4枚をシェンと送り、残り2枚の平面だけだった。
振り返れば4人近く俺の後ろにいた。
頭が働かない。
スペックが...

1時半PM
すべては送信完了した。
あとは待つだけだった。
梱包とDVDの送信をローレンに託した。
このへんはやたら記憶が薄い。
どうここにたどり着いたかはわからないが立ちあがった瞬間をよく覚えている。

提出する瞬間それは必ず訪れる。
これが勝つかどうかという鋭い直観が。
勝率は常に3割。

3年前の冬。
俺はある物件で自信を失った。

去年の秋
俺は自分に課した。
2年間であるレベルに達することを。
俺はこのコンペでそれに到達した。
| time 02:53 | comments(7) |

about sensibility
chords of comfort
colors of comfort
rythem of comfort
wind of comfort

these comfortations are essentialy coming from the same origins inside our feelings. Emotions that are transformed before worlds or forces of particles that are expressed in the media that are shown above will arrive at one's senses. One with a fine-honed sense has the ability to grasp the others nature at first contact. One will express thier emotion with the best media for the scanned opponent. this is what is so what called "sensibility". These people exist with the memory and enviroment that has made who they are.
人には心地いいと感じる和音がある。
人には心地いいと感じる色がある。
人には心地いいと感じるリズムがある。
人には心地いいと感じる風がある。

この心地いいこれらは本来発信源は心の同じ箇所からきている。言葉になる前の感情のような、力の粒子のようなものを上記の媒体に変換し、他者の悟性(ヘーゲル)にたどり着く。
研ぎ澄まされた悟性の持ち主はそれを会って直ぐに他者の本質をえぐり、それに見合う感情を相手に見合う表現で伝えるべき内容を伝える。それは世で言われる「感性」という言葉に置き換えることができる。世の中にはそういった感性の持ち主が本当に存在する。この心地いいと感じるものはその人のメモリーや潜在意識で決定する。

人を深く知ることは全てに応用できる。
| time 13:37 | comments(0) |

日本大使館
パスポート更新のため英国の日本大使館に行ってきた。どうやら平日のみのため、上司と相談し、1日早くプレゼン資料を仕上げることにし、極力業務への影響を軽減させるココだ!というタイミングの予定を組んだ。
サッチャーの葬式がセイントポールで本日あり、朝方ラジオを聞きながら支度をしていた。大使館というのはなぜか緊張するものがありシャワーも浴び、仕立てたスーツを着た。考えてみれば大使館内は英国法律ではなく、日本法律であり、ちょっとした帰国のようなものである。そう考えると何だか緊張したのか、ビビったのか靴を磨きGreenPark駅に向かった。「もう10年も経つのかー。」と前回新宿でパスポートを更新していた頃のことを思い出す。NY、LA、LVでのことを色々と思い出す。確か10年前に更新する頃には「日本じゃない何処かで大きな仕事をしながらその国で更新をしたいなー。」と自分に言い聞かせていたことを思い出す。「10年後かー。どこで何をしているだろうか...2023年4月」駅につき、エスカレーターの端にあるブラシで再度入念に靴を磨いた。
証明写真を近くの撮影店で撮り、パスポートを持って大使館に向かった。戸籍謄本は必要ないのだろうか...と疑いながらも手ぶらで乗り込んだ。
番号札をもらい、受付に相談すると「更新用紙の記入を」と言われる。書いていると裏面に

「渡航先記入欄」
とある。
「3ヶ月以上」「3ヶ月未満」
とある。
「現住所はさっき書いたからなー...3ってことはパスポートを渡している間の旅行の話か?ただ一週間内の話でなぜここまで聞くんだ?」
面倒になったので受付のおばちゃんに聞いた。

べ:「すみません。この裏面の渡航先の欄についてお尋ねしたいのですが。」
お:「はいはい。えー。」
と目で俺のスキャンにはいる。
お:「まず、日本語の方は大丈夫ですか?」
べ:「え...(wtf?)」
お:「あのー、漢字が読めないとか...日本語が難しいとか...(ニコニコ)」
べ:「いや、この住所はどこの住所のことでしょうか?(半分笑いながら)」
以下省略

とまー結果的にはロンドンの住所を聞かれていたらしく、用紙を届けて大使館をあとにした。


にしても
日本を離れている年数は確かに長いかもしれないが
『日本語大丈夫ですか?』
靴まで磨いたのに。
| time 09:01 | comments(0) |

鶴の階段
ツルの階段

crane stairs

鶴の階段

Although I designed this spiral stair few years ago, I'd like to shoot it out to public.
数年前にデザインしたものですが保存を兼ねてアップ。
| time 01:12 | comments(0) |






About



Category
Archives
Link