case study house 21 and 22
シンプル。
この前のEames Houseを軽く超える建物にこんなにもすぐに出会っていいのか... Hollywoodの山道をウネウネと登り、迷い、イライラすらしていた。
その過程を全て打ち消すもの。利休が描いた茶室の中の一輪の花のようなもの。
本当にシンプルなデザインに出会った。

眠れない。

みんな...これを観て何を思ったのだろう?
| time 14:50 | comments(2) |

Charles Ray Eames House -case study #8-

この前行ってきた。
今までLAで観てきた建築の中でトップ。間違いなく。内側から広がる美しさ。それを完全に解いていた建築といってもいいと思う。具体的な所在地が分からず探していたが問題なかった。なぜなら「近い。」その感覚が1km離れたところから俺のアンテナがビンビンに張っていた。「やっぱりあった。」
一通り観て思ったことは。あの夫婦はまだそこに普通にいた。存在はしないけど、いるということがはっきり分かるほど彼らの存在感が強かった。リビングにある色んな彫刻、照明、小物は知り合った者と自分らの作品を交換して陳列されたものだった。この小物の共通して言えるものは一つ一つに生を感じた。手作りのものには工業生産したものとは違うものがある。建築模型でもよく語る模型とそうでないものがある。それと同じ様なものである。大量生産でもよく語る製品は少ない。彼らのリビングはそのよく語るものがまるで放し飼いの動物園のような空間だった。

また、空間構成、使ってるモクの種類、床の貼り方までもが実家にそっくりだった。何でこの空間を知っているのだろう?流れる空気、流れる光...知っている。すごく不思議だった。前から実家の空間構成が気になっていた。極力隔てる壁を減らし、全ての部屋がリビングへと繋がる構成。んー。よくできているなー。と。きっと、あれを建てた建築家はラブラブだった新婚当初の両親らをみてこのイームズの家をモデルにしたのだろう。そうだとしたら、俺らは少し住み方を間違っていた気がする。家ができて何年も経たないうちにイギリスへ向かい、俺は生まれ、アメリカに移り、日本に帰ってきてもそこには住まず、「不便」を理由に別のところに住んだ。それでも、あの空間は一途に俺らのことをずっと待っていた。行き場がなくなった俺らは仕方なくあの空間にまた住むことになった。俺はその空間を去年離れた。
語るものができればデザインというものは本当は必要でないのかもしれない。
| time 18:15 | comments(3) |

誰かの当たり前
1カ月の日本旅行の宿を親戚、友人、知り合いを一つ一つ繋げお世話になっていた。
東京で知り合った友がそこを離れ一人で遠く離れた地に住むにはそれぞれ理由がある。
高校の時から馬が好きでしょうがないやつがいた。
そいつは遠く北海道で乗馬をやって好成績を残している。
彼に頼み込んで彼の生活の1日のほんの一部を体験させてもらった。
馬の手入れをしたり、餌を作ったり、糞を片付けたり、遠くの景色を見たり、近所の名馬を毎年生み出しているブリーダーに会いにいって小話をしたり、10日間で1000万を稼ぐ農家の友人にあって小話をしたり...
彼は馬に魅せられた人間である。

中学のときから一緒にボードをしてきた友人が岩手にいた。
相変わらずヤンチャで昼間に仕事をし、夜すべりにいくという生活。
今はナイターがなくなり、たまの休みにすべるだけである。
半年都内で働き、日本が世界に誇るゲレンデで半年山篭りの生活を終え、
「そろそろこっちで根を張ろうかと思う」といっていた。
彼らは雪に魅せられた人間である。

大学の授業でいつも前で発表するようなヤツが建築の道に進まなかった。
いつも授業中に飛行機のスケッチを描き、昼休みには屋上で空を眺めながら昼寝をしているようなやつ。彼はとある空港で整備士をしている。
彼の仕事風景を見ることはできなかったが、空港の近くに連れてってもらった。
空路の真下。想像を超える映像、音、気流...
彼は飛行機に魅せられた人間である。


部屋がたったの2畳かもしれない、インターネットがチョロチョロかもしれない、「mixiって?」って最近のことを全く知らないかもしれない、コンビニまで車じゃないといけないかもしれない、昔の友達が一人もいないかもしれない。それでも彼らはあの道を選んだ。そこに理由はない。ただ単にカッコイイからという理由だけである。

好きなことをやろう。僕を生きよう。自分に責任を持とう。そう再確認した。


僕は何に...
そうか...
そうかもしれない。
| time 04:38 | comments(2) |

土着
青森まで一緒だったKノブ君がこんなことを言っていた。
K:「俺さー、土着的な建築が観たいんだよね。」
べ:「土着的???何それ(笑)?」
K:「こう、なんていうんだろう、こう...ガツーんとしたもの。」
べ:「え?安藤さんみたいな建築を言ってるの?」
K:「そうそう。安藤さんとか超土着的だね。」
それを境に建築を目の前にして
べ:「これ、どう(笑)?何土着?5段階で評価してよ。」
K:「4土着くらいいくんじゃないかな(笑)?」
という頭の弱い会話を笑いながらしていた。
今思うと、あの建築は4土着もない。むしろ評価に値しない(今の俺の考えだと)。
ある有名建築の隣に楊枝ぶきの小さな民家があった。そこには囲炉裏があり、自然と人がそれを囲んでいた。15分程でその顔ぶれは変わり、最後のほうには俺がその家のおっちゃんに変わって観光客に説明していた。「おにいさん、ここらへんの学生さんですか?」と聞かれるくらい。さすがにそれにはおっちゃんも笑っていた。
それは置いといて、
移動の時にこの出来事をやたら考えていた。有名建築を求めて旅しているはずなのに、俺は楊枝ぶきの民家で楽しく過ごしていた。あれだけの小さな民家に自然と人が集まり、知りもしない人間同士が酒もなしにゲラゲラと笑っていた。あの有名建築と楊枝ぶきのあの家...皮肉なマッチングだ...なんであそこに入ろうと思ったんだろう?あの時どんな気持ちだったかな?ある人にこのことを相談した。その人は「昔の記憶の断片をかきたてたんじゃない?」と言っていた。でもそれは違う。だって俺は海外で育ってるし、囲炉裏の前で横になったのなんてあれが初めてだった。

ハッとなり俺は鈍行列車の中でKノブに言った。
べ:「俺らって今何してるの?旅をしてるの?観光をしてるの?」
K:「え?旅でしょ。」
べ:「建築マップもって、鞄背負って、目的地に行って、次の目的地に向かう...これって旅なの?俺、わからなくなってきた。」
K:「...」
べ:「コンビニで雑誌に載ってるアイドル立ち読みして、『かわいいねー』って言ってるのとなんら変わらなくないか?」
<軽く喧嘩になったため以下省略>

俺の言い分
有名な建築のすごさが分からない。あの二つを比較しても楊枝ぶきのあのショボイ建築のほうが断然気持ちよかった。コンテクストが読み取れない。デザインってなんなんだ。先進国の旗を高らかと掲げるためか。俺は現地のひとの生活を観たい。文化になる手前の知恵が知りたい。馬とか牛とか羊とかと泥んこになりたい。ということだった。

それを境に前に進む行為自体が苦しくなった。
写真を撮ることも、携帯をもっていることも。

土着ってなんだ?
昔から住んでいたら土着なのか?
馬に乗れば土着なのか?
祭に参加したら土着なのか?
菜の花畑のおばちゃんに話しかけて菜の花じゃなくて白菜だって分かったら?
観光客に現地の人だと間違えられたら?
その土地で生き延びるための知恵が絞れたら?
ジーンズに土や草や雪や風をこすりつけたら?
どっちかに永住するって決めたら分かるのか?

どちゃく 0 【土着】
(名)スル
その土地に長く住み着いていること。また、その土地に住みつくこと。根付くこと。
「―民」「島に―している人々」「―の文化」


避けては通れない生ぬるい壁にぶち当たったらしい。
| time 20:33 | comments(3) |

日本一の建築
ただいま。今朝東北から帰ってきました。
新潟→秋田→青森→北海道→青森→岩手→宮城
帰ってきた家には桜は咲いてなく、葉が一回り大きくなった景色に時間の経過を感じた。
ここ1カ月本州の建築をかなりみました。
たぶん100を超える数だと思う。
いい建築にめぐり合えば期待を見事に裏切る建築もある。
今すぐにでも作れそうなのもあれば経験によって作り出された集大成のものもある。

そこでその中で一番よかった建築は何かを聞かれそうなので応えます。

あるところで昼寝をした。
そこの建築は木造でできていてベンチがあり柱が4本あり屋根があった。それだけである。壁もない。その気になれば建築をやっていない人にでも十分建てることができる。その4畳ほどの建築が今までみたなかで皮肉なことによかった。帰りのバスの中で広島からのものを一つ一つ辿り、思い出しながら考えていたがどうしてもこれになった。

なぜ
そこに到る道のりがとてもよかった。
車で近辺に向かい、一通りそこらを観て昼飯を食おうとした。どうせなら旨いものを食おうと思い、たまたまそこら辺にいた警察2人に尋ねた。するとここを戻ったところに民宿があり、そこの「今日のおすすめ」というのが旨いんだよねー!と二人でそのメニューを楽しそうに話し出した。それを聞きそこに向かい、そこのおばちゃんと小話をしてお代わりのご飯をサービスしてもらい、「ここの山のぼりになられましたか?」と会計の時にたずねられた。「そこからはここらへんの風景が一望できるいいところなのよ!」と言われた。メシの後の運動を兼ねてその山を登ることにした。20分くらいかけてその山を登り、山頂にたどり着いた。そこに広がる風景はなんとも美しかった。カメラで撮ってはみたが撮る前から撮る意味がないと分かっていた。カメラが負ける風景だった。振り返るとそこにはベンチがあり、満腹な俺を昼寝に間違いなく誘っていた。そのベンチで横になり目を閉じると、

360度聴こえてくる波の音、
山に響く鶯の泣き声、
やさしい風の音...

くっきりと立体的に聞こえてきた。意識が朦朧としてきてだんだんとその音も絞られる。しばらくするとまた少しずつそれらの音量が上がり木造の屋根が目に入る。15分くらいだった気もするが2時間くらいだった気もする。それを確認せずにそこを去った。

ここでその場所がどこにあるか、どの山を登ればいいのかということを書き残すことはとても簡単である。でも、それをすると非常に陳腐になる。そこに真っ直ぐ向かっては意味がない。日本には海もあれば山もある。その両方をいいとこ取りし、当たり前のように調和している。そんなものが建築に限らず日本にはいっぱいある。
| time 20:25 | comments(4) |






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